チェンマイの廃寺を訪ねて

 チェンマイでは、街を歩いていると、崩れかけたチェディ(仏塔)や半分土に埋まった楼門が、打ち捨てられたようにたたずんでいるのをよく目にする。タイ語では「ワット・ラーン」と呼ばれるこうした廃寺には、かつて数多くの人が訪れ、現在のワット・プラ・シンやワット・スワン・ドークのように栄華を誇っていたものもある。
 ここではそんな廃寺を紹介するが、できれば朝早くか夕方に行き、静寂に包まれた中で“ワビ・サビ”にも通じるような雰囲気を味わってほしい。きっと、それまでとはまた一味違ったチェンマイの魅力が感じ取れるはずだ。



チェンマイ廃寺巡りのための格安航空券を探すならこちらで!(PR)

歴史を楽しむ旅のためのホテル検索・料金&空室確認、予約は……こちら(PR)


区切り線

■ワット・フォーンソーイ

場所:お堀の内側、チェンマイ門市場の裏手。プラポクラウ通りソイ2を入り、30〜40mほど進んだ右手

ワット・フォーンソーイ お堀の内側南部、チェンマイ門のすぐ近くにある廃寺。チェンマイ門市場のちょうど裏手にあたり、細いソイに面していて大通りから見えず、また規模も小さいためほとんど目立たずひっそりと建っている、というカンジだ。

 寺院の名前は、直訳すると「鶏の頸の毛の束」という意味なのだが、その由来や寺院の建設と廃寺となった経緯については、現時点ではまったく史料が見つかっていないようだ。しかしながら、1517年に著された「ニラート・ハリプンチャイ」によると、ここにはたいへん美しい仏像が祭られていたという。さらに加え、この寺院は、ラーンナータイの神話を記述した年代記には、1562年から1601年にかけてこの地に深いつながりを持った貴族である“プラ・テラ”に捧げられたものとして登場している。
 現存しているチェディ(仏塔)は、ラーンナー文化の特徴を多く残している。基壇の上には、四方のすき間に仏像を収めたと思われる高さのあるスペースがあったことが見て取れるし、さらにその上には小さな丸い鐘の形をしたアンラタンも下半分ほどがかろうじて残っている。チェディの周囲にも遺構は残っているはずなのだが、現在は周囲に人家などが立ち並んでしまっているため、地中に埋まっていると思われる。
 チェディをはじめとする建築学的な特徴や上記の史料から、この寺院は16世紀に建立されたことがわかる。その後、ビルマ軍を駆逐する戦争のために打ち棄てられたが、ラタナコーシン王朝初期に復元された。しかしながら、この寺院が実際に利用されたのは、16世紀から18世紀にかけてだけであった。タイ国芸術局は1999年にチェディを発掘し、2003年に復元した、と説明書きには書かれているが、周囲に囲いをつけただけでチェディそのものにはほとんど手がつけられていないのではないだろうか。

 写真でわかる通り、今にも崩れかけたチェディがわずかに残っているだけなのでわざわざ見に行くほどの価値もないと思う(この近くで廃寺を見るなら、チェンマイ門の南に伸びるスリウォン通りを下っていった方がよい)が、市場に来たついでなどにフラッと立ち寄るといいだろう。

区切り線

■ワット・チェンコーン

場所……堀の南側、チェンマイ門のまん前。堀の外側を走るチェンセーン通りとスリウォン通り、ナンターラーム通りが交わる三叉路に接している

ワットチェンコーン チェンマイ門南のにぎやかな商店街の中に、ポツンと取り残されたようにチェディ(仏塔)だけが立つ廃寺。チェディの両脇ギリギリまで商店があるため、注意していないと気づかずに通り過ぎてしまうかもしれない。
 今からおよそ350年前のタイ暦2100年代終盤、ラーンナー王朝末期に建立されたと推測されるが、その後数々の改修が重ねられており、現在のチェディは、当初の形とはかなり違っていると考えられている。
 基壇の部分は、損壊してすでになくなってしまっているが、建立された時代から、当初は横幅が広い四角形をしていたと思われる。通常、チェディーは3層構造になっているものなのだが、このワット・チェンコーンは、写真でもわかる通り下部と中部がほぼ同じ大きさ・形をしており、一瞥すると2層にしか見えない。
 さらに、その上部にあるルアンタートゥ(仏塔の最重要部分で、仏舎利などを入れておく)も、かなり天地が短くなっている上に、通常ならば1辺にひとつの門を作り、その上には漆くいでできた、花や蔓が刻まれたアーチをかけるのであるが、ここではアーチのない門が4ヶ所も作られている。この門の内部ひとつひとつに、仏像が納められているらしいが、他では見られないデザインだといえよう。
 唯一、建立当時の原形をとどめているのは、アンラタンと呼ばれる鐘の形をしたドームから上の部分で、ラーンナータイ初期の典型的なスタイルをしている。

区切り線

■ワット・チェット・リン

場所……堀の内側。チェンマイ門からプラ・ポククラウ通りを北へ向かい、200〜300m行った左側。ワット・ムアン・トゥムの向かい

ワットチェットリン 仏像が現存している数少ない廃寺のひとつで、現代の名刹ワットチェディ・ルアンからも200〜300メートルなので、気軽に訪れることができる。簡単な英語の説明書きも設置されている。
 通りに面した部分は芝生になっており、その奥の大木に隠れるようにして仏像が、さらにその裏側にチェディが残っている。
 この寺院の起源ははっきりとはしていないが、チェディ(仏塔)が4角形と円形を混ぜ合わせたような形をしていること、下部と中央部をつなぐ個所が4角形の3層構造になっており、下部を支える基壇部分も同一のスタイルになっていることなどから、タイ暦2100年代より前に建立されたものであることは間違いない。
 仏舎利などを安置する場所である仏塔の最重要部分“ルアン・タートゥ”を支える、柱をかたどった部分には、樹木の模様が施されており、四方にあるアーチ型の門の中には仏像が納められている。尖塔の直下部にあたるお碗の形をした部分は、古くなって壊れており確認することはできないが、残存している部分と年代的な見地から、もともとは8角形で、蔓性の植物の模様が彫られていたと推測される。
 手前にある仏像は黄色く塗られており、その足元には、かなり崩壊の進んだ仏頭が置かれている。
 タイ暦2060年に著された「ニラート・ハリプンチャイ」という書物によれば、昔はこの寺院は「ワット・ノーン・チン」と呼ばれていたという。また、2094年から2101年にチェンマイを治め、最終的にビルマのペグー王朝によって退位させられたメーク(メークットウィスッティウォン)王の即位式はこの寺院で行われた。その時、王が寺院の脇にあった池で沐浴し、その水を仏像にかけたところ、そこからかぐわしい香りが漂いはじめ、その芳香は3日間にわたって続いた、という逸話が残っている。

==========

 2005年1月現在、写真のように、残されていた仏像を本尊にしたヴィハーンの建設が進められているほか、その左奥には新しい金ピカの仏像が置かれた別のヴィハーンがすでにできあがっている。僧侶も常駐しており、廃寺ではなく生きた寺院としての活動が始まっているようだ。
 工事中のこともあり、上の記述のような緑に囲まれた落ちついたたたずまいは完全に失われてしまっているが、古い仏像とチェディは残っているし、新しく建てられたヴィハーンもタイ様式はもちろん、典型的なタイヤイ様式とも異なるユニークなスタイルをしており、場所的にも行きやすいので、訪れる価値は今でもあると思う。

区切り線

■ワット・クー・カーウ

場所……チェンマイ−ランプーン通り沿い。チェンマイ市内から南下し、国道1141号線との交差点を越え、さらに車で5分ほど進んだ右側。

ワットクーカーウ 今からおよそ350年前のタイ暦2186年建立。当時、この場所はチェンマイとラムプーンの境界になっており、それを示すためにチェディ(仏塔)とヴィハーン(本堂)が建設されたと言われている。ちなみに、現在でもここはムアン郡とサーラピー郡の郡境にあたる。
 史料によれば、かつて、この寺院には「カープラ」(借金が払えなくなり、その返済のために債権者のもとで働いていたが、その債権者が寺院に寄進として譲渡したため、そこで僧に奉仕作業をしている債務者)が数多く住んでいた。ある時、ヤーアーマットという人物が債務者を寄進したことを祝って儀式をしていたところ、周囲の木々が一斉に芽を吹き出して、その数は300万(!)に達した、という逸話が残っている。
 現在は、半分ほどの高さで残っているチェディと、基壇部分のみで上に金色の仏像が安置されたヴィハーンがあるが、これは2527年から2538年にかけて修復されたもの。
 上記のような逸話があるためか、廃寺にしては珍しくお参りする人が結構いて、周りには飯屋やプラ・クルアン(タイ人がよく首にかけている、粘土、もしくは金属製の小さな仏陀のお守り)を扱う店も出ている。

区切り線

■ワット・ノーン・ロム

場所……ナコンピン橋から堀方向へタイ・ワン通りを進み、突き当たったら右へ。そのまままっすぐ200mほど行った左手。あるいは、ターペー門から堀の外周道路のチャイヤプーン通りを北に向かい、マイアミホテル脇のソイ3を入って行ってもよい。

ワットノーンロム 今からおよそ400年前のラーンナー王朝がビルマの支配下に入る直前、タイ暦2100年代に建立された。現在は、2方向をソイに囲まれた小さなスペースに、チェディ(仏塔)だけが残っている。
 もともとは、完全なラーンナー・タイ様式のチェディだったのだが、スコータイの影響を受け徐々に改築が進められ、その結果下半分はラーンナー・タイ、上半分はスコータイ様式という、2つの文化が交じり合ったスタイルとなっている。チェディの最下部は1層の大きな4角形で、その上部は本来であれば細くくびれたようになっていて、飾りガラスがはめ込まれるのだが、ここのチェディでは省略されており、写真にあるように、大きくて背の高い多角形型になっている。さらにその上には、上半分を支える円形の2層の部分が続き、ここから上がスコータイ様式となっている。さらに数段、円盤を重ねたような部分が連なっているが、かつてはここには植物の蔓と花の彫り物が施されていたらしい。さらにその上部の尖塔を支える部分は、竹編みの容器をさかさまに伏せた状態をモチーフに作られており、一般的なチェディのものよりも形が大きい。最上部の尖塔は、途中から折れてしまっていて、原形をとどめていない。

区切り線

■ワット・タートゥ・クラーン

場所……チェンマイ門から南に伸びるスリウォン通りを300mほど行った左手。

ワットタートゥクラーン スリウォン通り沿いには、このワット・タートゥ・クラーンをはじめいくつかの廃寺が集中しているが、チェディ(仏塔)はここが一番大きくて美しいと思う。
 このチェディは、14世紀にスリランカの仏教学校からラーンナー・タイ王国に移住してきた僧が、蓮のつぼみをモチーフにデザインしたと言われている。昔のチェンマイ市内には、同様のデザインを施されたチェディがいくつもあったらしいのだが、後世の改修で原形をとどめているものは非常に少なく、そういった意味では貴重なものだと言えるのかもしれない。
 この廃寺に関する記述は、古文書にもまったく見られないが、ラーンナー・タイ様式の特徴である正方形の基壇、およびスコータイ王朝時代の流れを受け継いだ上部のデザインとの不釣り合いとも言える組み合わせから、15世紀の終わりもしくは16世紀はじめの頃の建立と考えられている。

区切り線

■ワット・ファン・サート

場所……チャーン・プアックバスターミナル内、サナーム・キラー通りに面している

ワットファンサート 文献にはまったく登場せず、歴史などはほとんどわからなかったが、1986年の修復の際に調査が行われ、写真の仏塔の中に、もうひとつ小型の円形の仏塔があることが判明した。そしてその仏塔が、マンラーイ王(ラーンナー・タイ王国創始者)時代の典型的なスタイルであることから、極めて初期のラーンナー・タイ様式であることが確認され、古い歴史のある寺院であることがわかった。
 今見ることのできるチェディ(仏塔)は15世紀に作られたもので、最下部の四方形の基壇は古いラーンナー・タイ様式を受け継いだ形をしている。その上の2段のくびれ部分には、小さな輝く飾り(ガラス?)が付けられていたらしい。
 上半分は、ほとんどが修復時に新たに作られたものだが、中央部にあるアーチ型の屋根飾りが付いた窓には、かつては仏像が安置されていた。さらにその上には3段に重なった同様の窓が作られていて、これらの上についている人字型の屋根飾りはカヌンの花の形を模したデザインになっている。
 最上部の尖塔は、ラーンナー・タイ様式とクメール様式が混ぜ合わさったようなスタイル。その一方で、パーツによってはラーオ様式の影響も受けており、チェンマイの地理的・文化的位置を知る上で興味深い。

区切り線

■ワット・ヤーン・クワン

場所……チェンマイ門から南に伸びるスリウォン通りを400mほど行った右手

ワット・ヤーン・クワン 建立の時期は不明だが、第2次世界大戦の頃に廃寺となった。現在は、右手に基壇のレンガがむき出しになったチェディ(仏塔)、左手のトタン屋根の中に仏像が残っているだけだ。
 今から約100年前、タイ暦2440年に出された書物によれば、この一帯にはタイ・ヤイ(シャン)族の移住者が数多く住んでおり、もともとあったこの寺をタイ・ヤイ様式に改造し、故郷のチェントーン(現在のビルマ・シャン州の州都)にある寺院にちなんでワット・ヤーン・クワンと名づけたらしい。確かに、現存する仏像の顔立ちは、一般的なタイ様式とはどことなく違って見える。
 改造当時のチェディには、宝石が2列に埋め込まれ、その美しさは格別だったという。また、ここにはかつてチェンマイで最も大きな仏像が安置されていたが、ラマ5世チュラロンコーン王(在位1868年〜1910年)の時代に、ダムロン親王がその頭部をバンコクに持ち帰り、「プラ・チャオ・セーン・セーオ」と名付け国立博物館に展示していた。1971年になってその頭部はチェンマイに戻され、現在はスーパー・ハイウェイ沿いにあるチェンマイ国立博物館に安置されている。

区切り線

■ワット・チェディ・デーン(ノーク)

場所……チャーンプアック通りをお堀から北へ約500m行った左手

ワット・チェディ・デーン(ノーク) 市の北部、チェンダーオ、ファーンへと続くチャーンプアック通り(国道107号線)沿いにある廃寺。ほかの多くの廃寺と同様にチェディ(仏塔)がひとつのみ、それも写真のように上半分は消失してしまった状態で残されている。このチェディは、基壇が2つ積み重なっているところが大きな特徴となっており、その形状からタイ暦21世紀以降の建立であると思われる。また、残存してる部分から、上部のルアンタートゥ(仏塔の最重要部分で、仏舎利などを入れておく)は、つる性植物の装飾が施されたアーチ型の庇がかけられた四角形と円形を混ぜ合わせたスタイルになっており、それがさらに四方から上部のアンラタン(鐘の形をしたドームから上の部分)を受け支えるような造りであったと推測される。
 このチェディの訪れた時、その周囲にはゴミが散乱し、非常に汚かった。市内の廃寺の多くは、最近整備が進み説明書きのボードなども作られつつあるが、歴史的にも貴重な財産であり、また古都としてのチェンマイを象徴するものでもあるのだから、定期的に清掃するなどの保護策をもう少し講じてほしいものだと思う。





HOMEへレポートを書くTOPへ