蘭菜太郎さんの“チェンマイ裏街道”
■第1話:不法滞在
タイ国内には、周辺の経済的に遅れている国々から不法に入国し、さまざまな職業に就いているた人達がたくさんいる。そして、ここチェンマイには、特にビルマからやって来て、人目を避けながらひっそりと暮らしている人が多い。そんな「不法滞在者」は、なぜ、どのようにして、チェンマイにやって来ることになったのだろうか。
テーン(仮名)は25歳、チェンマイに住むようになって6年が経つ。彼女は、タイヤイ(シャン)族でビルマ・シャン州の州都チェントンで生まれた。父親はチェントンの湖で魚を捕り、それを市場で売って生計を立てていたという。生活は苦しく、子供の頃から父親の仕事を手伝わなければならなかったため、学校に行くことのできなかった彼女は、字の読み書きがまったくできない。
彼女に、最初の転機が訪れたのは15歳の時。タイヤイは一般的に早婚で、13〜14歳で結婚してしまうことも多いが、チェントンには長年の戦乱の影響からか若い男性が極端に少なく、いい相手が見つからなかったため、中国人のミヤノイ(妾)となった。ミヤノイ生活はおよそ2年間続き、その後はメーサーイ(タイ最北部、ビルマ国境にある町)に出て、タイ人の家でお手伝いさんの仕事に就いた。メサーイでの生活は、特に辛いこともなく快適だったが、月700Bという安月給では仕送りも満足にできず、新しい仕事を探していたところ、友達から「チェンマイでお手伝いさんをするとたくさんお金がもらえるから、行かないか」と言われ、チェンマイに来てみたが、仕事場は何とアプ・オプ・ヌアド(ソープランド)であった。
アプ・オプ・ヌアドでは、目付け役の警官が付き、不法滞在で仕事していることを見逃す代わりに「用心棒代」を取られ、さらに店からは部屋代(狭い部屋に何人もが雑魚寝するよう環境で1,000B)、衣装代などなどさまざまな形で金を要求されたため、ほとんど仕送りはできず「このまま自分は一生働き続けなければならないか」とあきらめた、という。
しかしながら、捨てる神あれば拾う神あり。働き始めてから約半年後、客として店に来ていたある男性に見初められて足抜け(目付け役の警官と手を切るため、その警官よりポストが上の別の警官を間に立て、男性が双方に多額のワイロを支払ったという)、その男性のミヤノイとなりチェンマイに定住することになった。 現在は、その男性が借りてくれた部屋に住んでいるが、チェンマイでは年1回すべての家を警察が“訪問”、彼女のような不法滞在者をチェックして回っており、その時には20,000Bのワイロが、また、チェントンに帰る時には警官に付き添ってもらって国境を越えなければならないため、その手数料が3,000B必要だと言う。「でも、それ以外はとってもサバーイ。あとはできたら彼とちゃんと結婚して子供を作り、タイのIDカードが手に入れば最高ね」とテーンは笑う。
彼女のエピソードは偶然知ることのできた話であるが、このように自分が望む、望まないに関わらず不法にチェンマイに滞在、金を稼いでいる人は多い。最近では、中国(雲南)からの流入も増えてきており(現在、チェンマイの売春婦のかなりの数は中国から来ている、と言われている)、この問題をより一層複雑にしている。
■第2話:エイズ
かつて、タイ人の間には「チェンマイに着いたか、着かないか?」という表現があった。“チェンマイには来た、しかしまだ女を買っていない(もう、買った)ので、本当にチェンマイに着いたことにはならない(なる)”というような意味だが、そんな雰囲気もエイズの登場によって大きく変わってしまった。
ソムサック(仮名)と知り合ったのは、かつて定宿にしていたホテルである。彼はそのホテルの玄関先でいつも客待ちをしているサムローの運転手で、何度か客として乗っているうちに親しくなり、一緒に色々な遊びをしたり、家に行ったりするような関係になった、筆者にとっては最初のタイ人の友人といってもよい存在だった。
ある時、チェンマイに到着し彼の姿を探したが見当たらないので家に行ってみると、前回、わずか3ヶ月前からは想像もできないほどに痩せ細ったソムサックが布団の中で体を丸めていた。そして、筆者の顔を見つけるとやっとのことで起き上がり、元気のない笑顔を浮かべるのであった。「一体、どうしたんだ?」と聞いても、「マイ・サバーイ(具合が悪い)だ」というだけ。家にはいつもいるはずの奥さんも見当たらず、その所在を聞くと「出て行った」という。“まあ、タイではよくある話だからな”とあまり気に留めなかったのだが、実は彼女はダンナがエイズにかかっていることを知り、2人の息子を家に置いたまま、別に男を作りどこかへ逃げてしまっていたのだった。能天気な筆者は、彼がエイズであるとはまったく思い至らず、ガンか何か別の病気に冒されてしまったのだと勘違いしていた。
それから2〜3日の間、ソムサックの病状は落ち着いていて、筆者がタラート(市場)から買っていったカオ・トム(お粥)なども、少しではあるが、口にするようになった。しかしながらその痩せ衰えた姿は、たとえそれが何の病気であるにせよ、死期の近いことを予感させた。
そうこうしてさらに数日経ったある日のこと、いつものようにソムサックの家に様子を見に行ってみると、突然彼は全身を痙攣させ、白目をむいて意識を失ってしまった。あわてた筆者は、すぐ近くに住む友人と一緒に彼をかついで車に乗せ、病院へと運び込んだ。タイでできた最初の友人として、できる限りのことはしてやろう、と思っていた。しかしながら、病院のエマージェンシー・ルームの前で待っていた筆者と友人のところにやって来た医師は無表情に1枚の紙切れを見せた。そこには英語で“HIV +++”と書かれていた。そして、「もうこれでは助からないし、治療もできないので連れて帰ってくれ」と冷酷に告げるのであった。
ソムサックは、病院から連れ帰った翌日、静かに息を引き取った。その死顔は、まるでそれまでの苦しみから開放された安堵に満ち溢れているかのように安らかだった。
最近、チェンマイには一時期全滅状態であったコーヒー・ショップ(飲み屋の体裁を取った置屋)がまた復活し始めているようだ。しかしながら、その一方で現地の新聞には、市内某ソープランドの女性を検査したら3人に1人がHIVに感染していた、という記事が載っていた。「ボ・ペン・ニャン(チェンマイ語でマイ・ペン・ライ)」では済まされないのが、エイズである。
■第3話:売春婦の故郷をたずねて
「チェンマイ」と聞くと、多くの日本人はいまだに“売春のメッカ”をイメージする人が多い。そして、偏った報道のせいもあるのだろう、売春婦は極貧の家庭に生まれた女の子が騙されて売り飛ばされ、劣悪な環境の中で労働を強いられる「かわいそうな」存在として認識されがちだ。しかし、果たしてそんな例ばかりなのだろうか? それを確かめてみたくて、彼女たちの故郷を訪ねてみた。
ニット(仮名)は、「売春婦」になって約1年半になる18歳の女の子だ。プーケットで1年ほど働いた後、ここチェンマイの置屋に移ってきた。筆者はこの置屋のオーナーと友人で、たまたま遊びに行っている時、明日から田んぼを手伝うために田舎に帰るという彼女と知り合った。「それなら、車で送ってあげるから一緒に連れてってよ」と言うと快く承諾してくれ、思いがけなく彼女の故郷を訪ねることになった。
チェンマイから国道118号線を北へ3時間、チェンラーイを抜けさらに3時間ほど北東に進んだところにあるチェンコーンが彼女の故郷だ。メコン川に面し、かつては「ジュオン」と呼ばれる王国が栄え、現在は北ラオスとの交易の拠点として発展が有望視されているこの町からソンテオ(乗合のピックアップトラック)で30分ほど進んだ、周囲に豊かな田園が広がる集落の中に彼女の家はあった。家は、質素ではあるがしっかりとした造りで、山岳民族の家とは比較にならないくらい立派なものだ。庭にはジャック・フルーツの木がたわわに実をつけており、ちょっとした菜園も作られていた。現在、この家には彼女の父親と14歳になる弟が住んでいる。母親は、彼女が小さい時に亡くなったそうだ。
彼女が小さい時には、決して豊かではないものの生活していくのに困る環境にはなかったらしい。しかしながら、お決まりというか、父親が博打におぼれ借金を作り、また弟が中学に進学することになり、その学費を工面しなければならなくなったため、彼女は自ら進んで働きに出たという。
実際、家に帰っても彼女には一家を支えているというプライドがあるのか一番威張っており、父親や弟に筆者をもてなすよう、あれやこれやと命じている。バイクやテレビ、冷蔵庫などは一通り揃っており、「ここにカーテンを付けたいのよね〜」とか言いながら、窓を指差したりしている。軒下には、まだ懲りていないのか、博打用のカブトムシが数匹サトウキビにつながれていた。
「これだけ色んなものが揃っていれば、もう働く必要ないんじゃないの?」と訪ねると、「う〜ん、でも今さら田んぼでずっと働くのもイヤだし、弟が中学校を卒業するまでは稼がないとね。」と笑うニットには、自分が売春婦をしているという後ろめたさも悲惨さもまったく感じることができなかった。確かに、彼女にとって、自分一人で一家を支えられるだけの収入が得られる仕事といえば、他にはないだろう。そして、父親も弟も、経済的にはもはや彼女にぶらさがらずにはやっていけなくなってしまっているのだ。
筆者のことをどう思ったのか、「ニットはいい子だ、いい子だ」と盛んに話しかけてくる父親に相づちを打ちつつも、心の中にはむなしさと不可解さと困惑が入り交じったような、何とも表現のしがたい複雑な気持ちが駆け巡っていた。結局のところ、故郷には来てみたものの、何かを知ることができたかどうかよく分からない、というのが偽らざる心境である。
■第4話:ヤミ宝クジ
タイで最もメジャーなギャンブルといえば、恐らく宝クジだろう。ここチェンマイでは、レストランで食事をしていると、売り子の女性がテーブルを回って売り歩いている姿をよく見かけるし、実際にそれを買っている人も多い。しかし、変な言い方ではあるが、こうした宝クジよりももっと人気のある宝クジがある。それは、市販(公認)の宝くじではない、いわゆる「ヤミ」宝クジだ。
タイでは、毎月1日と16日(当日が祝祭日の場合はその翌日)に宝クジの抽選が行われる。公認の宝クジの番号は6ケタになっているが、ヤミの宝クジの場合、賭けることができるのは、1〜3桁の数字だ。仕組みは極めて簡単で、公認の宝クジの1等の当選番号を前半分・後半分の3桁づつに分け、それぞれが当選番号となる。したがって、賭ける時にも「前で123」とか、「後ろで45」といった張り方をする。
賭け金は自由であるが、ホテルに勤めている女性スタッフなどに聞いてみると、ひとつに5Bとか10Bとかが一般的なようだ。しかし、数字の順番もピタリと当てなければ当選とならないため、「123」であれば、123・132・213・231・312・321と6通り賭けるケースが多く(1〜2桁の場合は下1桁もしくは2桁のみ)、ひとつ5Bでも払うお金は30Bとなるので、トータルすると結構な金額になってしまうようだ。筆者はだいたい1回に1,000Bくらい買うが、これくらいの額になるとお得意さんということで、20%割引してくれる(もちろん当選金は満額もらえる)。当選金は、3桁の場合500倍、2桁の場合50倍、1桁の場合5倍であるが、1桁に賭ける人はまずいないらしい。
友人のブン(仮名)は、この「ヤミ」宝クジのディーラーをしている。彼は自身で約100人、日系メーカーの工場で働く奥さんが職場で約60人、合計約160人のお客を抱えている。
毎月1日と16日が近づいてくると、彼の自宅には次々とお客がやって来ては金を張っていく。ブンはお客が数字を言うと、それを次々と「ヤミ」宝クジ専用の“台帳”に記入していく。この台帳(写真)はキチンと印刷されたもので、レポート用紙のように数10枚が1冊に綴られているが、もちろん一般の文具店やスーパーで売っているわけがなく、彼の弁によれば「持っているだけで捕まる」ものらしい。
台帳に記入が終ると、お客には賭けた数字と金額、そのお客の名前を書いた紙片を渡す。これがお客にとってはクジの券となるわけだ。販売は、抽選当日の昼ごろまで行われ、その後彼は“台帳”と賭け金を胴元へ持って行く。胴元は、チェンマイで仕事をしている、とある高級官僚で、タイのことを多少知っている人なら名前を聞いただけですぐわかる、国王陛下から卒業証書を直接いただける大学を出ている超エリートである。
ほとんどおおっぴらに「ヤミ」宝クジが行われていること自体、普通の日本人には驚きであるが、さらに胴元がそんな人物であるということを知った時、このエッセイのタイトルであるところのタイの「裏街道」の奥の深さを垣間見た気がした。
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